奴隷貿易法 (1824年)
| 英: Slave Trade Act 1824 | |
| 議会制定法 | |
| 正式名称 | An Act to amend and consolidate the Laws relating to the Abolition of the Slave Trade. |
|---|---|
| 法律番号 | 5 Geo. 4. c. 113 |
| 適用地域 | 連合王国 |
| 日付 | |
| 裁可 | 1824年6月24日 |
| 発効 | 1825年1月1日 |
| 他の法律 | |
| 被改正 | 奴隷貿易廃止に関する諸法 |
| 改正 | 奴隷貿易法 (1828年)、刑罰法 (1837年)、奴隷貿易法 (1873年)、制定法廃止法 (1998年) |
| 関連 | 奴隷貿易法 (1788年)、奴隷貿易廃止法 (1807年)、奴隷貿易重罪法 (1811年)、賞金等法 (1817年)、奴隷制度廃止法 |
現況: 廃止 | |
| 法律制定文 | |
| Text of the Slave Trade Act 1824 as in force today (including any amendments) within the United Kingdom, from legislation.gov.uk | |
| 改正法の改訂条文 | |
奴隷貿易法(どれいぼうえきほう、英: Slave Trade Act 1824)は、1824年にイギリス議会で成立した、奴隷貿易の廃止に関する既存の法律を改正・統合する法律である[1][2]。正式な長題は「奴隷貿易の廃止に関する法律を改正し、統合する法律」(英語: An Act to amend and consolidate the Laws relating to the Abolition of the Slave Trade)であり、法令番号は5 Geo. 4. c. 113であった[2]。
同法は1824年6月24日に国王ジョージ4世の裁可を受けた[2]。また、同法第82条により、1825年1月1日から施行された[1]。同法は、1807年の奴隷貿易廃止法および1811年の奴隷貿易重罪法など、奴隷貿易廃止に関する法令を整理・統合し、奴隷の売買、移送、輸出入、奴隷貿易目的の船舶利用、資金提供、保証、保険契約などを広く禁止した[3]。
特に第9条は、公海上などでの奴隷取引を海賊行為、重罪および強盗として扱う規定を置いた[4]。ただし、同法は奴隷貿易を取り締まる法律であり、イギリス帝国における奴隷制そのものを廃止した法律ではなかった。イギリス帝国における奴隷制度の廃止は、1833年の奴隷制度廃止法によって進められた[5]。
背景
[編集]サマセット事件と奴隷制をめぐる法的背景
[編集]1772年のサマセット事件は、イングランドにおける奴隷の法的地位をめぐる重要判例であった。リンカーン法曹院の解説によれば、ジェームズ・サマセットは逃亡後に捕らえられ、船上に拘禁されたが、支援者が人身保護令状を請求した[6]。English Heritageは、マンスフィールド卿が1772年6月22日に、主人がサマセットをイングランドから強制的に連れ出して売却することはできないと判断したと説明している[7]。
同事件は1824年法に基づく判例ではない。しかし、イングランド法における奴隷制の位置づけをめぐる背景として、奴隷貿易取締法制を理解するうえで重要である。
奴隷貿易廃止法と奴隷貿易重罪法
[編集]1787年には、トマス・クラークソンやグランヴィル・シャープらが奴隷貿易廃止促進協会を設立し、奴隷貿易廃止運動が組織化された[8]。議会内では、ウィリアム・ウィルバーフォースが奴隷貿易廃止運動の中心的役割を担った[8]。
1807年の奴隷貿易廃止法は、イギリス臣民およびイギリス船による奴隷貿易を禁止した[5]。しかし、この法律は奴隷貿易を廃止したものであり、植民地における奴隷制度そのものをただちに廃止したわけではなかった[5]。
1811年の奴隷貿易重罪法は、1807年法をより実効的にするため、奴隷貿易への関与を重罪とした[9]。1824年法は、これらの奴隷貿易取締法制を改正・統合し、罰則、没収、裁判、賞金、保護された人々の扱いなどを一つの包括的な法律として整理する性格を持っていた[3]。
砂糖産業と西インド利害
[編集]18世紀から19世紀初頭にかけて、英領西インド諸島の砂糖植民地は、奴隷労働に大きく依存していた。西インドのプランター、商人、植民地関係者は、イギリス議会内外で「西インド利害」(英語: West India interest)と呼ばれる政治的・経済的勢力を形成し、奴隷制および植民地制度をめぐる議論に影響を与えた[10]。
エリック・ウィリアムズは、西インドの奴隷制プランター階級の経済的衰退と、イギリス産業資本主義・自由労働・自由貿易の台頭を奴隷貿易廃止および奴隷制度廃止の背景として重視した[11]。一方、シーモア・ドレッシャーらは、奴隷貿易廃止時点で西インド砂糖経済が単純に衰退していたとみる説明に批判を加え、廃止運動、政治、世論、帝国政策など複数の要因を重視した[12][13]。
したがって、1824年法の背景には、奴隷貿易取締りの実務上の必要だけでなく、西インド砂糖植民地、植民地奴隷制度、奴隷制度廃止運動、西インド利害をめぐる議会政治が存在していた。ただし、砂糖産業の衰退のみを同法成立の直接原因とみなすことは、研究上の議論を単純化することになる。
奴隷制度廃止運動の再拡大
[編集]1820年代初頭には、奴隷貿易だけでなく、植民地における奴隷制度そのものの廃止を求める運動が強まった。1823年には、トマス・フォウェル・バクストン、ウィルバーフォース、トマス・クラークソン、ジョゼフ・スタージらが関与し、奴隷制度緩和・漸進的廃止協会が設立された[14]。
1823年5月15日、バクストンは庶民院で植民地奴隷制度の改善と漸進的廃止を求める議論を行った[15]。この議論では、西インド植民地の奴隷人口、プランターの財産権、植民地議会の対応、奴隷制の改善可能性などが論じられた[15]。
もっとも、1824年法の直接の目的は奴隷制度全体の廃止ではなく、奴隷貿易廃止に関する既存法の改正・統合であった[2]。そのため、同法は1833年の奴隷制度廃止法に至る広い歴史的流れの一部ではあるが、法的性格としては奴隷貿易取締法であった。
成立過程
[編集]庶民院での法案準備
[編集]1824年2月19日、庶民院の全院委員会は、1807年の奴隷貿易廃止法および奴隷の拿捕・没収に対する賞金について検討した[16]。同日の決議では、戦時捕獲または海上拿捕などによって有罪・没収の対象となった奴隷について、拿捕者や訴追者に一定の賞金を支払うこと、また奴隷貿易廃止に関する法律を改正・統合することが適当であるとされた[16]。
この決議により、ジョゼフ・フィリモアおよびスティーヴン・ラシントンに、奴隷貿易廃止に関する法律を改正・統合する法案を準備し提出する許可が与えられた[16]。英語版ではこの人物が「Sir Robert Phillimore」と表示されることがあるが、1824年当時の文脈ではジョゼフ・フィリモアを指すものとみられる。
庶民院での審議
[編集]法案は「奴隷貿易法案」(英語: Slave Trade Laws Bill)として庶民院に提出された。1824年4月8日、トマス・スプリング・ライスによって第一読会に付された[16]。同年4月10日には第二読会が行われ、法案は全院委員会に付託された[16]。
全院委員会は4月12日に報告を行い、その後、修正法案は5月5日に再び全院委員会へ付され、5月7日に報告された[16]。同年5月14日、法案は庶民院で第三読会に付され、修正を加えて通過した[16]。
貴族院での審議と裁可
[編集]庶民院を通過した法案は、貴族院では「奴隷貿易法統合法案」(英語: Slave Trade Laws Consolidation Bill)として扱われた[17]。1824年5月18日に貴族院で第一読会に付され、5月31日に第二読会が行われた[17]。その後、法案は全院委員会に付託され、6月17日に審議され、6月18日に修正付きで報告された[17]。
1824年6月21日、修正法案は貴族院で第三読会に付され、再付託を求める動議は否決され、法案は修正を加えて通過した[17]。庶民院は6月22日に貴族院修正に同意し、法案は6月24日に国王ジョージ4世の裁可を受けて成立した[16][17][2]。
内容
[編集]既存法の整理・統合
[編集]同法第1条は、奴隷貿易およびその廃止、ならびに奴隷の輸出入に関する既存の諸法を、一定の留保を除いて廃止すると定めた[3]。この規定は、1825年1月1日に効力を生じた[1]。ただし、同条は過去に既に作用した規定や、同法により明示的に確認された規定までも無効にするものではなかった[3]。
また第30条は、同法によって賞金等法 (1817年)を廃止しないと定めた[3]。このため、奴隷貿易取締りに関する賞金・分配制度の一部は、同法の外で引き続き扱われた。
奴隷貿易に関する包括的禁止
[編集]同法第2条は、奴隷または奴隷として扱われることを予定された者について、売買、交換、移送、輸出入、船積み、拘禁、奴隷貿易目的の船舶の艤装・使用・賃借、資金提供、保証、保険契約などを広く禁止した[3]。
この規定は、直接に奴隷を売買する者だけでなく、船舶所有者、船長、乗組員、資金提供者、保証人、代理人、保険者など、奴隷貿易を支える周辺的な取引関係者も対象とした点に特徴があった[3]。
罰金と没収
[編集]第3条は、奴隷の売買・移送・輸出入などに関与した者に対し、奴隷1人につき100ポンドの罰金を科し、当該奴隷または人物に対する財産権を没収すると定めた[3]。第4条は、奴隷貿易目的で艤装・使用された船舶を、その船具、装備、船上の一定の財産とともに没収の対象とした[3]。
第5条は奴隷貿易に用いられる資金提供や貸付保証について、関与した金銭・物品等の価額の2倍の罰金を定めた[3]。第6条は奴隷貿易に関わる代理人などへの保証、第7条は奴隷貿易に用いられる物品の船積み、第8条は奴隷または奴隷貿易航海に関する保険契約について罰則を定めた[3]。
保険契約の禁止
[編集]第8条は、奴隷または奴隷貿易に関係する財産・対象物について保険を引き受け、または保険契約を結ぶことを禁止し、違反者に100ポンドの罰金および保険料の3倍額の支払いを定めた[3]。また、同条はそのような保険契約を無効とした[3]。
奴隷貿易に関する保険は、奴隷貿易を金融面から支える仕組みであったため、同法は単に船舶や売買行為を禁じるだけでなく、保険・信用・資金の面からも奴隷貿易を抑制しようとした。
海賊・重罪としての扱い
[編集]同法第9条は、公海上または海軍管轄権の及ぶ港湾・河川・入り江などで、奴隷として扱う目的で人を連れ去り、移送し、船に乗せ、拘禁し、またはこれらを援助する行為を、海賊行為、重罪および強盗として扱うと定めた[4]。
この規定は、公海上の奴隷取引を、単なる通商規制違反ではなく、海賊行為に相当する重大犯罪として扱うものであった。制定当初、第9条に該当する行為は死刑を伴う犯罪であった[1]。
流刑・重労働・禁錮
[編集]第10条は、奴隷貿易に関する一定の行為を重罪とし、14年以下の流刑、または3年以上5年以下の重労働を科すことを定めた[3]。この対象には、奴隷の売買・移送・輸出入、奴隷船の艤装、奴隷貿易への資金提供、保証、物品の船積み、船長・船医・上級船員などとしての乗船、保険契約、奴隷貿易法制に関する証明書等の偽造が含まれた[3]。
第11条は、奴隷貿易に用いられる船舶に下級船員、海兵、使用人などとして乗り組んだ者について、軽罪として2年以下の禁錮を定めた[3]。
民事上の効果と情報提供者
[編集]第39条は、同法により違法とされた目的のために作成された抵当、証券、債券、手形、約束手形などを原則として無効とした[3]。ただし、違法性を知らずに有価証券を取得した善意取得者については例外が設けられていた[3]。
第40条は、共犯者などが情報提供者として証言した場合の免責に関する規定を置いた[3]。第47条は、罰金・没収請求の時効を定めたが、違法に輸入された奴隷または奴隷として扱われた人々の没収については例外を置いた[3]。
西インド諸島内の移送
[編集]同法第25条は、一定の条件のもと、国王が枢密院令によって、1827年7月31日までの間、英領西インド諸島内のある島から別の島へ奴隷を移すことを認める権限を定めた[1]。この規定は、奴隷本人の福祉上必要と判断される場合に限られ、移送先や待遇に関する条件および担保が求められた[1]。
この規定は、奴隷制を廃止するものではなく、当時なお存続していた植民地奴隷制度を前提に、奴隷貿易取締法の中で例外的な移動を扱った規定であった。
関連する法的背景と判例
[編集]フォーブス対コクラン事件
[編集]1824年のフォーブス対コクラン事件では、イギリス海軍艦船に逃げ込んだ奴隷とされた人々をめぐり、元の所有者が海軍士官を相手に訴えを起こした[18]。同事件は、奴隷制が認められる外国領域の外で、イギリス法が奴隷状態をどのように扱うかをめぐる判例であった[18]。
この事件も1824年法第9条に基づく刑事事件ではないが、同じ1824年におけるイギリス法と奴隷制の関係を示す判例として関連づけられる。
その後
[編集]1828年法
[編集]第25条の西インド諸島内移送に関する規定は、1828年の奴隷貿易法 (1828年)によって延長・修正された[19]。
1833年奴隷制度廃止法との関係
[編集]1824年法の成立後も、イギリス帝国の多くの植民地では奴隷制度そのものは存続した。奴隷制度の廃止は、1833年の奴隷制度廃止法によって進められた[5]。したがって、1824年法は奴隷貿易取締法制の整理・強化であり、奴隷制度そのものの廃止とは区別される。
1837年刑罰法
[編集]1837年の刑罰法 (1837年)は、1824年法第9条に基づく公海上の奴隷取引に対する死刑を終身流刑に減軽した[20]。これは、19世紀前半のイギリスにおける刑罰緩和の流れの中で、奴隷貿易関連犯罪についても死刑から流刑へと刑罰が改められた例である。
1873年法および後の改廃
[編集]1873年の奴隷貿易法 (1873年)は、奴隷貿易取締りに関する多数の法律を統合した[21]。同法第30条および第2附則は、1824年法の大部分を廃止したが、第2条から第11条、第12条の一部、第39条、第40条および第47条など一部の規定は残された[21]。
さらに、1998年の制定法廃止法 (1998年)は、1824年法の第3条から第9条、第12条、第39条、第40条および第47条などを廃止対象に含めた[22]。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- 1 2 3 4 5 6 “Slave Trade Act 1824”. legislation.gov.uk. 2026年7月9日閲覧。
- 1 2 3 4 5 “Slave Trade Act, 1824”. Irish Statute Book. 2026年7月9日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 “Slave Trade Act, 1824”. Irish Statute Book. 2026年7月9日閲覧。
- 1 2 “Slave Trade Act, 1824, Section 9”. Irish Statute Book. 2026年7月9日閲覧。
- 1 2 3 4 “How did the slave trade end in Britain?”. Royal Museums Greenwich. 2026年7月9日閲覧。
- ↑ “Somerset's case”. Lincoln's Inn Archives. 2026年7月9日閲覧。
- ↑ “The Somerset v Stewart Case”. English Heritage. 2026年7月9日閲覧。
- 1 2 “1807 Abolition of the Slave Trade”. UK Parliament. 2026年7月9日閲覧。
- ↑ “Slave Trade Act 1811”. vLex United Kingdom. 2026年7月9日閲覧。
- ↑ “The West India Interest and the Parliamentary Defence of Slavery, 1823-33”. The History of Parliament. 2026年7月9日閲覧。
- ↑ Williams, Eric (1944). Capitalism and Slavery. University of North Carolina Press
- ↑ Drescher, Seymour (2010). Econocide: British Slavery in the Era of Abolition. University of North Carolina Press. ISBN 9780807899595
- ↑ “The Sugar Industry and the Abolition of the Slave Trade, 1775-1810”. EH.net. 2026年7月9日閲覧。
- ↑ “Thomas Fowell Buxton: biography and further reading”. Brycchan Carey. 2026年7月9日閲覧。
- 1 2 “Abolition of Slavery”. Hansard, UK Parliament (1823年5月15日). 2026年7月9日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 7 8 The Journals of the House of Commons. 79. House of Commons. (1825). pp. 66, 269, 276, 285, 327, 338, 367, 530, 533, 536 2026年7月9日閲覧。
- 1 2 3 4 5 The Journals of the House of Lords. 56. House of Lords. (1824). pp. 237, 294, 399, 430, 439, 449, 457, 465, 1143
- 1 2 “Forbes v Cochrane and Cockburn”. vLex United Kingdom. 2026年7月9日閲覧。
- ↑ “Slave Trade Act 1828”. Google Books. 2026年7月9日閲覧。
- ↑ “Punishment of Offences Act 1837”. legislation.gov.uk. 2026年7月9日閲覧。
- 1 2 “Slave Trade Act 1873”. legislation.gov.uk. 2026年7月9日閲覧。
- ↑ “Statute Law (Repeals) Act 1998, Schedule 1, Part VIII”. legislation.gov.uk. 2026年7月9日閲覧。
参考文献
[編集]- Williams, Eric. Capitalism and Slavery. University of North Carolina Press, 1944.
- Drescher, Seymour. Econocide: British Slavery in the Era of Abolition. University of North Carolina Press, 2010.
- Drescher, Seymour. Abolition: A History of Slavery and Antislavery. Cambridge University Press, 2009.
- Oldfield, J. R. Popular Politics and British Anti-Slavery: The Mobilisation of Public Opinion Against the Slave Trade, 1787-1807. Manchester University Press, 1995.
- Carrington, Selwyn H. H. The Sugar Industry and the Abolition of the Slave Trade, 1775-1810. University Press of Florida, 2002.
外部リンク
[編集]- Slave Trade Act 1824 - legislation.gov.uk
- Slave Trade Act, 1824 - Irish Statute Book
- Slave Trade Act, 1824, Section 9 - Irish Statute Book
- How did the slave trade end in Britain? - Royal Museums Greenwich